ゴッホがアルルに到着して以来、「夜の効果」の表現に常に心を奪われていました。1888年4月、彼は兄セオに手紙を書き、「私は松の木と星の輝く夜、または熟した麦畑の上の夜が必要です。」と述べました。6月には、画家エミール・ベルナールに打ち明けています。「でも、私はいつ星空を描けるのでしょうか。私を追いかけてくるこの絵を」。
「ローヌ川の星月夜」(1888年9月)は、同じ月に制作された3つの絵画のうちの1つで、夜空と星が基本的な象徴的要素として取り入れられています。彼はまた、「カフェのテラスの夜」と、おそらく3つの中で最も象徴的な彼の友人エュジェーヌ・ボッホの肖像画も描きました。
「ローヌ川の星月夜」は、バン・ゴッホが当時借りていたプラス・ラマルティーヌ広場にあるイエローハウスから数分の場所にある川岸で描かれました。夜空と夜間の光の効果は、彼のより有名な絵画のいくつかに主題を提供しました。中でも最も有名なのは「星月夜」です。
夜に絵を描くという課題にゴッホは興味を持っていました。「ローヌ川の星月夜」の選んだ視点は、アルルのガス灯の反射が輝く青い水面に映り込む様子を捉えることを可能にしました。前景では、2人の恋人が川岸を散策しています。ここでは、星は輝きを持ち、暗く青くてふくらみのある夜空から輝いています。ローヌ川の岸に点在する家々も光を放ち、水面に反射して絵画の神秘的な雰囲気を加えています。
色彩の描写はゴッホにとって非常に重要でした。彼は兄セオに宛てた手紙で、自分の絵画の中の物体を色彩で表現することがよくありました。彼の夜の絵画、「ローヌ川の星月夜」を含むものは、この時代に新たに登場した人工照明と夜空のき
らめく色彩を捉えることの重要性を強調しています。ここでは、すべてが自然の光の静けさの下に広がっています。きらめく星々と水面の波紋は、ロマン派の好みにぴったりと合っています。実際、この夜の場面は、無限の暗闇という感動的な体験に触発されたものであり、ゴッホは手紙で次のように表現しています。「ある時、私は夜の寂しい海岸を散歩しました。それは陽気でもなく、悲しいでもなく、美しかったのです。」これは、彼の手紙の中で、彼が美をそんなに強く訴えることはない唯一の場所です。この熱意を一時的な美的なひととき以上のものとして捉える十分な理由です。ゴッホは、科学的かつ平凡な目で星を見る肯定主義的な試みに対する深い嫌悪が再び表面化したのです。彼の宗教的な衝動が再び現れているのが見て取れます。
「ローヌ川の星月夜」に関する豆知識
- 「ローヌ川の星月夜」は1889年にパリで開催されたサロン・デ・インデペンダン展に出展され、彼の死前に公に展示されたゴッホの作品のわずか数点の一つでした。
- ゴッホは1888年9月にアルルでこの絵画を完成させましたが、セントレミの精神病院に入院する前のものであり、そこで「星月夜」を描くことになります。
- 「ローヌ川の星月夜」は「星月夜」と「カフェのテラスの夜」とは異なり、天空における大熊座の位置が正確ではありませんでした。
- ガス灯とその川面への反射は、アルルでは比較的新しい現象でした。パリ自体も1853年ごろから夜間に灯りがともされていました。
- 絵画の厚い筆触と質感は、ゴッホの同時代の批評家であるジョルジュ・ルコントによって「獰猛なインパスト」と形容されました。
- 「ローヌ川の星月夜」は、1922年までオランダの私設所有者の手にありました。その後、アムステルダムのバッファ・ギャラリーが取得しました。1975年以降、絵画はパリのオルセー美術館に所蔵されています。
- ゴッホがプレアン画法で絵を描くためにイーゼルを立てた場所は、現在、アルルのゴッホツアーの一部となっています。
- 2015年には、ゴッホの「ローヌ川の星月夜」と現代のエドヴァルド・ムンクの「星月夜」が並べて展示されました。両作品は夜空と恋人のペアを特徴としていますが、スタイル的には大きく異なります。
- ゴッホは「ローヌ川の星月夜」で補色の青と黄色を使用することで、光の輝度を高め、自然の風景の中でのその厳しさを示唆しています。
- 絵画の青と黄色の色合いは、温度の観点でも互いに補完的です。ゴッホは黄色を青に対して並べることで、光の熱が冷たい水面に焼きつくさまを巧みに表現しています。